Stage of the ground
君をかばって 散った夢は 夜空の応援席で見てる 強さを求められる君が弱くても 唄ってくれるよ ルララ 
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tarch

Author:tarch
職業:未来から逃げたい大学2年生(20歳)
   かものはしプロジ◯クトでインターン中。
   スタディツアーの企画とかやってます。

好きなミュージシャン:ミスチル BUMP OF CHICKEN QUEEN ベートーベン
趣味:音楽 スポーツ 映画 読書 考え事



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春休みってなにすればいいんだろう
んー、ひさのちゃんのブログを見ていて、思い出したけど、去年の昨日は早稲田の理工の受験日・・・。眠かった記憶しかありません。寝た記憶もあります。英語とか理科は。
東大の2日目かなんかに、発表だったんだっけ?一応合格したような気がする。自信まったくなかったから、間違えだろ!とか思ったけど。

んな話はどうでもよくて~

昨日は、ゼミの企画で、ルート181を見ました。途中までしか見られなかったけど。
ドキュメンタリー映画です。ロードムービーってかんじ。

作品を紹介すると・・・


2002年夏、パレスチナ人のクレイフィとイスラエル人のシヴァンの両監督は二人が生まれた故郷をともに映像でたどる旅に出た。二人がたどったのは、〈ルート181〉と名付けた架空の道。それは1947年、パレスチナの地を二分するために国連決議181号で定められた分割線を意味し、実際には境界になることがなかったルートである。

1948年、イスラエル建国によってパレスチナ住民の多くは追放され、このルートの大半はイスラエルの土地となった。さらに1967年、イスラエルは西岸・ガザを占領し、パレスチナ全土を手中に収めた。

分割決議案から55年後、イスラエル軍によるパレスチナへの侵攻と過酷な軍事占領が続くさなか、二人の監督はこのルートに沿って北上し、この地に住む人々の声と表情を拾っていく。そこであらわになる様々な〈境界〉に取り囲まれた生の現実と、歴史の襞が織り込まれた記憶は、今を鋭く問いかける。

というかんじ。

シヴァンとクレイフィが、ときに挑発したりして、うまくそれぞれの叫びを拾っていくかんじがうまかった。静かだけど、パワーのあるドキュメンタリーでした。

続きに、つれづれなるままに思ったままを書いてみよう。
うわ、書いたあと見直せばひどい文章だ。けど、直すのめんどい。


背景知識がないと、けっこうわかりにくい映画でした。まず、俺らがヘブライ語とアラビア語の違いがわからないし、ユダヤ人っていうのは、ユダヤ教徒は世界中にいるから、もう生物学的に人種としてみるといろいろな血がまざってて、アフリカ系とかアラブ系の顔をしていてもユダヤ人である、ということが多々ある。「この人はどっちの民族なんだ??」っていうのが、発言を通さないと、見抜きにくい。ある程度背景知識があったり、一回でも行ったことがあればわかるかもしれないけど。でもこの複雑さは、それくらいこの問題は複雑だってことの表れなのかもしれない。
単純化して、二項対立にすれば見やすいのだろう。だけど、様々な立場の人がいる。
自爆テロに息子を喜んで送り出すなんてできるわけがない、とか、命こそが大切なんだ、と訴えるパレスチナ人たち、カフカについて語るイスラエル兵、パレスチナ人は人間ではない、動物だ、と言い放ってしまうイスラエル人、パレスチナ人の地位向上のために努力をするイスラエル人。さまざまな人がいて、さまざまな言い分があって、さまざまな歴史がある。だから、まず、シンプルにしてわかりやすくしてしまうことは、目を曇らすだろう。むずかしいんだけどね。

3部に分かれてて、計270分もあるんだけど、最初の方は眠かったけど、だんだん引き込まれていきました。

歴史認識の違いとか、記憶の違いも感じた。いやなことは覚えてるんだなって思ったり。
パレスチナ人はイスラエル軍にやられたことを忘れないし、ユダヤ人の入植者は元々いた場所で受けた迫害、ホロコーストの悲劇とかはやっぱり忘れない。相手方のことも悲劇だといえる想像力があれば・・・とか思ってしまうけど、俺が思うほどこの問題が単純でないのはわかってる。
「イスラエル人とパレスチナ人はわかりあえないもの」として、根本的にお互いの対話を否定する人もいた。それぞれの歴史的背景から、「人間として認めない」というレベルのものから、「文化が違うんだから無理よ」とするものまで。これって、同じ人間としてやっぱ悲しい。実際、対話を通じてわかりあえることは、アイツがやってきた活動の中でわかってるし。
そして、記憶の違いは、教育の違いにもつながり、対立し合う若者たちを育ててしまうことになるだろう。だから必要なのは、交渉と妥協と脅迫を繰り返して和平を無理矢理進めるだけじゃなく、草の根レベルからの「対話」もだろうとほんとに思った。幸い、両者が交流する機会は多々ある。むしろ、交流のある人々は多かった。だけど、多くの人が、線引きをしていた。「この人と根本的にわかりあうのは無理」って。
先人の記憶に支えられた先入観でなく、それを受け入れた上で、対話による理解と衝突を繰り返して形成し続ける想像力こそが何かを変える。とか思ってみたりして、アイツがやってきたことに尊敬を覚えたりした。
文化だって違うものはあるだろうけど、音楽とか似たところも多いという話はよく聞く。
そして、同じ大地を踏みしめている。同じ、あのどこまでも青い空の下にくらしている。
どうして、わかりあえないことがあろうか。

オリーブの木々、カーキ色の丘の稜線と真っ青な空。
対して映像がきれいでもないのに、どこまでも空は広くて、ほんとうに美しかった。
今年の春は無理だけど、すこし情勢も安定したら行ってみたいと思う。

最後までおつかれさまでした。
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